今、私の目の前には、至高の輝きを放つ「特製醤油ラーメン(全部のせ)」が鎮座している。
湯気の向こうに見えるのは、職人が命を削って抽出した黄金色のスープと、低温調理されたチャーシューという名の芸術品だ。
しかし。
私の右手には箸ではなく、カメラ性能が自慢のスマートフォンが握られている。
構図の調整、照明の確保、ポートレートモードの深度設定…。 この一連の儀式に費やされた時間は、既に3分を経過していた。
物理的な事実として、スープの温度は秒単位で低下している。
つまり、私は「美味しそうな写真を撮る」という目的のために、肝心の料理そのものの「味」を自ら犠牲にし、劣化させていることになる。
これは、経済活動として見た場合、あまりにも非効率ではないか?
私は今、スマホの画面越しに自問している。
「何をしにここに来たんや?」
冷めゆく麺を前にして、私は重大な決断を迫られている。 このまま「ちょっとこだわりのあるグルメブロガー」として、食の記録係を演じ続けるか。 あるいは、プライドを捨てて「ただの腹減ったおっさん」に戻るか。
この葛藤は、私にとって「歴史の証人になるか、野生動物として生きるか」という、文明論的な二択といっても過言ではない。
「好きに適当に撮って食べればいいやん」
そう囁く内なる声が聞こえる。 だが、その認識は我ながらあまりにも浅く、かつ現代社会の構造を無視していると言わざるを得ない
SNSが生活の一部となった現代において、私たちは奇妙な錯覚に囚われている。 それは、「体験を共有しないことは、機会損失だ」という強迫観念にも似た感情だ。
もちろん、誰に見せなくともラーメンは美味しいし、私の腹は確実に満たされる。それは紛れもない事実だ。
しかし、この感動をデジタルデータとして残しておかなければ、なんだか「もったいない」気がしてしまう。
まるで素晴らしい映画を見た後に、誰にも感想を語れぬまま帰宅する時のような、あの消化不良感。
「記録」に残さない日常は、時間の彼方に流れて消えてしまうのではないか。 そう思うと、温かい麺を前にしてもなお、私はスマホを構える手を下ろせないでいる。
そもそも、冷静に分析してみよう。
私のブログの月間アクセス数と、ラーメン一杯の代金。そして執筆にかかる労力と時間。 これらを損益計算書(P/L)に落とし込んだ時、そこに現れるのは真っ赤な赤字、すなわち「自己満足の債務超過」である。

得られるリターンは何か?流れ作業で押された「いいね」と、 見知らぬ誰かからの「美味しそうですね😋」という、社交辞令のようなデジタル信号のみ
果たしてそれで良いのだろうか?
ここで私の思考は、ミクロな損得勘定を超え、ある種、哲学的な思考へとシフトする。
そもそも、私が「美味い」と感じたその感動を、赤の他人に100%伝えることなど可能なのか? 言葉を尽くせば尽くすほど、味のリアリティは失われていく。
「濃厚なのに後味スッキリ」? 「口の中でとろける」?「パツンとした弾力のある歯ごたえ」?
擦りに擦られた、そんなありきたりな食レポに私の貴重な人生のリソースを割く価値などあるのだろうか? 否、断じて否である。
ならば、どうすべきか。
既存のグルメブログ界隈で消耗しないためには発想の転換、いわゆるパラダイムシフトが必要となる。
結論から言う。
私に必要なのは、写真でも文章でもない。
そう、「エア・グルメ」だ。
店に行かず、食べもせず、ただGoogleマップの店舗情報だけを見て、脳内で家から現地に赴き、そのお店の味をまた脳内でシミュレーションする。
そのお店が人気店であれば、訪問時間から推察される待ち時間も考慮に入れ、待ち時間をどのように過ごすかも当然考える。
食べた後は勿論、「レビューするならどのように書くか?」まで考察。抜かりはない。
これならば、カロリー摂取による健康リスクも、財布へのダメージも、行列に並ぶ時間もすべてゼロになる。 究極のSDGs。完全なるエコシステムがここに今、爆誕する。
私は、SNSを跋扈する有象無象のグルメブロガー達には、到底たどり着けない圧倒的高次元の存在として、ただ妄想の中でラーメンを啜ればいいのだ。
…。
そんな事を考えていたら麺が随分と伸びてしまった
スープを吸いに吸って、なんかもう、もごもごした食感になってしもた
物理的実体としてのラーメンが劣化した今、私の高尚な思考実験は脆くも崩れ去った。 空腹という名の生理的欲求が、私を現実へと引き戻す。
結局のところ、私がどれだけ小賢しい理屈をこねようとも、 巨大資本が運営するグルメサイトの前では、ちっぽけで無力な一個人に過ぎないのだ。
食べログの点数3.5の壁。
Googleマップの口コミ数という数の暴力。
彼ら巨大プラットフォームが作り上げた「評価経済」の前では、私個人のブログなど、大海原に漂うプランクトン一匹に等しい。いや、その存在すらもおこがましい
勝てるわけがないのだ。 最初から。勝負にすらなっていなかった。
私は、伸びきった麺を啜りながら、静かに、そして冷静に敗北を受け入れた。
なんやエア・グルメて
頭おかしいんちゃうか
これからは、映えも評価も気にせず、ただ自分の腹を満たすためだけに、飯を食おうと思います。ご馳走様でした、また来ます。
ここまで読んでくださり、あざまっす。


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