約二年前、私は交通事故に遭った。
幸い骨折などの大した怪我はなかったものの右腕に打撲と肘に違和感があり、お医者さんへ行った際に私の状況から整骨院に通院する事を提案されたので整骨院へ行く事にした。
とは言え、一言に整骨院と言ってもどこへ行けばいいのか解らない程に整骨院は多い。近場で便利のいい整骨院と条件を絞っても相当な数がある。そんな中1つ興味深い整骨院を見つけた。
交通事故に強い整骨院
交通事故に強い整骨院とはどういう意味なのか。
言葉をそのまま受け取れば、整骨院に突然10tトラックが時速60kmで突っ込んできても壁が無傷というような意味合いになる。
しかし実際はそうではないだろう。恐らく交通事故での怪我に対して強いという意味だと思う。だがそれもまた腑に落ちない。
世の中には様々な「強さ」がある。
格闘家のような肉体的な強さは勿論の事、逆境に対して強い、スポーツでの一対一に強い、意志が強いなど。一言で強さと言っても多種多様な強さがあり、それはこれまでの実績やノウハウに裏打ちされたものであると言える。
しかし交通事故はどうか。交通事故の想定はなかなか難しい。実例もスポーツに比べ遥かに少ないだろうし、そもそも事故で内臓に損傷が生じた場合その部分に於いて整骨院での対応は不可能と言える。
故に整骨院が交通事故の対応に強いという表現そのものが私には無責任に感じ、単純に「アヤシイ」という印象でしかなかった。
行ってみますた。
その整骨院は完全予約制で、初診に限っては約1時間ほど掛かると言われた。最初にカウンセリングを充分にし、お互いを良く知ってから治療に入る方針だそうだ。なので実際の治療は二回目から。
その初診では先ず事故の状況から怪我の程度、それに対してその整骨院独自の治療方法の説明など様々な角度からのカウンセリングを施された。
丁寧だ。
それが私の感想であった。正直な所、意外だったから余計にそう感じたのかも知れない。
しかしカウンセリングの後半に流れが変わる。その整骨院の独自の治療方法の成功事例のビデオを観させられた。ビデオの内容は簡潔に言うと
パーキンソン病を患い自力で立つ事もできない老人が車椅子で来院し、治療を施された後の帰りは車椅子を使わず自身で歩いて帰った。
このような内容であった。そしてビデオが終わり先生が自信に溢れた笑顔で一言「如何ですか?」と私に尋ねた。
イカガデスカ?
これまでに幾度となく経験してきた質問である。アパレル然り、飲食店然り。感想を尋ねられる事は多々あった。
しかし。
今回の質問は今までの質問の中でも断然回答に困るものであった。如何ですか?という問いかけに今までこれ程真摯に取り組もうと思った事もない。どう答えればいいのか。私の中での感想は「んなアホな」であったが、此れは避けたい。有り得ない事だと思うが確証がない。
ましてやパーキンソン病の方が喜んで帰って行く姿をモニタ越しだが目にした私が否定する事などどうして出来ようか。
とは言え称賛も避けたい。それはそれで嘘になるからだ。ではどのように答えればいいのか。刹那で目まぐるしく頭の中で最適解を探す信号が駆け巡り、そして導き出された答えは――
言葉にならないですね…。
これであった。
この「言葉にならない」という言葉の持つポテンシャルは恐ろしい。言葉にならないとは時に感嘆であり、時に絶望でもある。全く真逆の意味でも通用してしまう程に汎用性が高い。あらゆる状況下で使用でき、尚且つ当人は何も言っていないにも関わらず相手は相手の都合が良いように解釈するという側面がある。
質問をされ、こちらは答えていないのに相手は解釈してくれる。言語化せずに言語以上の意味を持つ。まさに最強なのだ。そして先生はこう言った。
でしょう?
何が「でしょう?」なのだ。
私は何も言っていない。何が伝わったのだ。何を理解したというのだ。この小一時間程の間に言葉は無くとも我々は心で通じ合える程に解り合えたというのか。そんな筈はない。少なくとも私は全く理解できていない。
何故ならば
こちらの整骨院による「独自の治療法」に対して私には疑念しかないのだ。それは勿論先程のパーキンソン病の方に対して劇的な効果があった治療法である。
その治療法とは
痛みの感覚を司るのは脳であり、患部に直接治療を施すのではなく脳を刺激する事によって脳から治療し痛みの根本治療をする。というものだ。
んなアホな。
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