夜中にカップ麺食べるか悩んでたら衆議院解散の真意を問いたくなった

cupramen


人間の根源的な欲求と、社会的な美意識の相克。

今、私の目の前には、未開封のカップラーメンが鎮座している。

時刻は夜の23時を回った。

この時間帯における炭水化物の摂取が、生物学的にどのような結果を招くか。それはもはや議論の余地のない科学的事実である。


インスリンの過剰分泌、脂肪細胞への蓄積、翌朝の顔面の浮腫。これらは不可避の未来として約束されてしまっている。

 
 

しかし、誤解しないでいただきたい。

 
 

私は決して、鏡に映る自分の肉体に絶望しているわけではない。自己肯定感が低いわけでもない。
 
 

ただ純粋に、「太りたくないけど、麺を食いたいんや」という、相反する二つの真実が同時に存在しているだけなのだ。

これを「わがまま」と断じるのはあまりにも稚拙で早計である。これは、理性(ロゴス)と本能(パトス)の出口なき対話なのだから。

 

私は今、静寂の中で自問している。

 
 

このカップラーメンを食べたとして、そのカロリーを相殺するだけの運動エネルギーを、今から生成することは可能か?

 
 

否、それは不可能である

 
 

物理的、時間的制約を考慮すれば、摂取カロリーをゼロにするための運動量は常軌を逸している。

 

ここで私の思考は、冷静な分析の枠を超え、ある種強迫的な極論の迷宮へと加速していった

 
 

つまり、こういうことだ。

 
 

今ここでこの蓋を開けるか否か。
それは単なる夜食の問題ではない。

 
 
私の今後の人生における「セルフブランディングの方向性」および「市場におけるポジショニング戦略」の分岐点なのだ。

 
 

この葛藤は、私にとって「フィギュアスケーターとして生きるか?力士として土俵に上がるか?」という究極の二択になる
 

 
 

「そんなの極論すぎる」と思われた方もいるかもしれない

 
 

厳しい言い方になるが、認識が甘い。

 
 

世の中の「普通」の人々は「今日は食べちゃおう、明日ちょっと歩けばいいや♡」といった、リスクヘッジの効いた、無難なポートフォリオを組んでいるのかもしれない

 
 

しかし、私の脳内シミュレーションに「現状維持」や「微増」などという中途半端な領域は存在しないのだ。

 
 

なぜなら、中途半端な小太りこそが、最も市場価値の低い「レッドオーシャン」だからである。
 
 

 
 

「ただの運動不足の中年」というカテゴリに分類された瞬間、私のアイデンティティは失われる。これからの時代、令和を生き残るためには、差別化戦略(ブルーオーシャン)に打って出るしかない。

 
 

もし今、私が筋トレを選択し腹筋ローラーを握ってトレーニングしたとしよう。

 

それは即ち、私が羽生結弦氏を目指し、4回転アクセルへの道を歩み始めるという契約書に署名することと同義である。

 
 

もはや、空気抵抗係数(Cd値)との戦いだ。指先の角度、スパンコールの重み…すべてを計算し尽くした美と芸術の求道者として、一切の妥協を許さないストイックな食生活が義務付けられる。
 
 
そこには「小腹が空いた」などという甘い考えが入り込む余地など1ミクロンも存在しない。

 
 

一方、逆にここでお湯を注ぐとしよう。

 
 

それはもはや、横綱への道である。

 
 

中途半端に「食べて太ってしまった」という受動的な結果ではない。プロフェッショナルとして、肉体を巨大化させるための意図的な「バルクアップ期」に突入したと定義すべきなのだ。

 
 

物理学の観点から言えば、F=ma(力=質量×加速度)である。質量(m)を増やすことは、即ち戦闘力の向上に直結する。

 
 

そうなってくると、このカップラーメンがもつ意味は単なるカロリーの塊ではなくなる。
これは将来、私が角界を引退した後にプロデュースする予定の『ちゃんこダイニング☆ワイ』の出店計画における、極めて重要な先行投資となる。

 
 

競合他社リサーチ、スープの粘度分析、麺のちぢれ具合による顧客満足度の相関関係。これらをデータ化するための、ビジネスにおけるR&D(研究開発)費として計上されるべき案件なのだ。

 
 

ただの夜食ではない。未来の飲食店オーナーとしての、極めて真面目な市場調査という投資なのだ領収書ください

 
 
 

……。
 
 
 

論理を積み上げれば積み上げるほど、自分の首が締まっていく

 
 

そもそも、一度立ち止まって考えたい

「普通」とは何なのだ?

 
 

「程よく食べて、程よく運動して、標準体型を維持する」のが正解であると、一体誰が定めたというのか?

 
 

その「中庸こそ美徳」という価値観、本当に現代社会に必須なのだろうか?

 
 

白か黒か、0か100かで生きた方が、迷いがなく脳のメモリ節約になるとは思わないか?

 
 

「少し太ったからダイエットを」や「今日はチートデイ」などと、微細な調整を一生繰り返す人生に、果たして何の意味があるというのか

 
 

そう考えると、私がこれほどまでに苦悩している根本的な原因は、この国の「標準」とされるレンジが狭すぎる点にある気がしてきた

 
 

結論が出た。
 
 

私に必要なのは、筋トレでも忍耐でもない。
 
 

 
 

そう、モンゴルへの移住だ。

 
 

モンゴルの大草原に立てば、この「太りたくないけど食べたい」という悩み自体が霧散するはずなのだ。モンゴルの地では、巨大であることは強さであり、正義なのだから。

 
 

国は早急に、深夜にカップラーメンで苦悩する国民を救済するために、ウランバートル行きの片道切符と、遊牧民セット一式を現物支給すべきである。切符は片道だけでいい

 
 

そうすれば、私は迷いなく力士ルート(モンゴル相撲コース)を選択できるし、誰も傷つかずに済む
 

 
 

行政には、この「メンタルヘルス対策としてのモンゴル移住支援事業」を次年度予算に積極的に組み込んでいただきたいと切に願う。

 
 
 
 
衆院解散の真意を今一度、問いたい
 
 
 

 

……あ
 

音がした
 

ティファールが
 
 
 
カチッて
 
 

 

物理現象としてのお湯が沸騰してしまった以上、熱力学第二法則に従い、注ぐ以外の選択肢は今を以て消滅しました。おわり。
 
 

 

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